樋野興夫ブログ 「がん哲学学校」

第222回「がん哲学学校」
『がん哲学外来 ツーリスト』の夢の浮上〜「7月:がん哲学 月間」の創立〜

2017年07月03日


先週末の土曜日、弘前での講演会『病気であっても病人ではない 〜 がん哲学外来を知っていますか 〜』(弘前教会:1875年設立)に赴いた。今回は、1874年 津軽藩の藩校をルーツに持つ『東奥義塾』 (本多庸一 初代塾長) や 弘前女学校(現 弘前学院)についても、学ぶ機会ともなり、大変充実した時であった。

日曜日の午後は、定例の読書会(CAJに於いて)があり、今回は、『武士道』(新渡戸稲造 著)の第2章『武士道の淵源』で、改めて「知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現われる時においてのみ、真の知識となる」を復習した。その後、講演『<がん哲学外来>メディカルカフェ「ぶどうの木」〜 あなたは「がん」とどのように向き合いますか 〜』(大泉バプテスト教会に於いて)に招待された。火曜日の夜『がん哲学外来・メディカルカフェ初級クラス〜一本の枝となる心の対話のための初級コース』(OCC)の特別講義に赴いた。

『マンガ「がんの話」発刊報告及び発刊記念講演会』(長野県東御市中央公民館に於いて)で、記念講演「学校現場における がん教育の進め方」に招待された。パネルディスカッションは、北御牧中学校校長の司会のもと、パネリストは、東御市教育長、東部中学校校長、北御牧中学校教頭が務められ、閉会の辞は、東御市長が情熱を持って語られ、歴史的大事業となった。翌日の信濃毎日新聞にも大きく、取り上げられていたとの連絡を頂いた。今後、全国で『マンガ「がんの話」』手引き書を用いて、担任による授業が展開される予感がする。

外国特派員協会で、面談する機会が与えられた。2004年6月9日 国連大学 ウ・タント国際会議場での「今、なぜ新渡戸か?〜 Why Nitobe Now ? 『武士道』そして五千円札の顔〜」のチラシを持参された。検事総長:原田明夫氏、国連大学学長、国際交流基金理事長、東京女子大学長、拓殖大学副学長、東京三菱銀行副頭取、ジャパンタイムズ顧問、ブリテイッシュ・コロンビア大学名誉教授、アジア財団駐日代表、日米協会専務理事、日本ユネスコ協会連盟理事長、と錚々たる顔ぶれである。筆者は、『先人の志を継承しつつ』で、講演していた。懐かしい想い出である。今回『がん哲学外来 ツーリスト』の夢が浮上した。

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第221回「がん哲学学校」
「Quality of Death」:プレゼントを遺して去って行く ~ 愛しています ~

2017年06月26日


先週の日曜日の午後、鎌倉能舞台での『がん哲学外来*ピンクリボン シンポジウム 「病気も単なる個性 〜 海から出よう 〜」』に赴いた。多数の参加者の前で、筆者は、白足袋を履いて能舞台に立って講演をした。大変、恥ずかしかったが、有意義な、時でもあった。次は、鎌倉芸術館で、企画される様である。
「石見銀山 がん哲学外来カフェ」開設記念で、島根県に帰郷した。出雲空港に、故郷に住む94歳の母と姉が、出迎えて呉れた。出雲市に住む従姉妹の家に行った。丁度、帰国中のバンコックに住む従姉妹の娘とその子供達と、皆で、昼食を食べた。大変、貴重な、忘れ得ぬ、一時を過ごした。母と姉が、車で、出雲市駅まで、見送って呉れた。母の涙を後にして、汽車で、大田市駅に向かった。
島根県大田市民会館での、「石見銀山 がん哲学外来カフェ」には、地元の医師、益田市の患者会の代表、島根県 県央保健所、大田市役所の職員・保健師、テレビ局と、多種の方が参加され、会場は、大盛況であった。筆者の研究室に、国内留学で、来て呉れていた島根大学医学部の先生達も参加して下さった。その中には、今や、医学部の教授に就任された先生も居られ、大変、懐かしい再会の時となった。夕食も、大いに盛り上がった。今後も、定期的に、開催される。
第41回日本遺伝カウンセリング学会学術集会(近畿大学東大阪キャンパスに於いて)で、招待講演「遺伝病も単なる個性である社会構築を目指して 〜 がん哲学 & がん哲学外来 〜」に招かれた。フロアーからの質問に、「曖昧なことは、曖昧に答えるのが、科学的であり、グレーゾンーを、確信を持って語るには、愛しかない」と答えた。まさに、「病気であっても、病人でない、患者主体の医療」の人類に与えられた、永遠の課題の、事前の舵取りなる予感がした。
小林麻央氏が逝去された。昨年、週刊誌『女性自身』に、筆者のコメント記事が、掲載された故か、複数のメールが届いた。「樋野先生がもし、海老蔵さんや 麻耶さんに 何か言えるとしたら、どんな言葉をかけられますか? — 教えて頂ければ幸いです。」等の質問を頂いた。「プレゼントを遺して去って行く ~ 愛しています。 何時も、あなたを見守っています ~」と、さりげなく答えた。
小林麻央氏の死は「Quality of Death」が重要なテーマである気づきともなろう。

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第220回「がん哲学学校」
『われ21世紀の新渡戸とならん』の静かなるブーム到来 〜 哲学の時期 〜

2017年06月19日


筆者の講演会に「神谷美恵子」のご親族の方が聴講に来て頂き、お話する機会が与えられた。「神谷美恵子」が勤務していた、ハンセン病施設の長島愛生園に講演に赴き、『神谷美恵子記念 がん哲学外来カフェ in 長島愛生園』が開設された。今年、5周年記念 講演会が、企画されている。筆者は、若き日、『生きがいについて』、『人間をみつめて』、『こころの旅』を、熟読したものである。まさに、ドイツの哲学者 ショーペンハウアー(1788~1860)の『青年期には観察力が、老年期には思考力が強く出る。したがって、青年期は詩の時期であり、老年期は哲学の時期である。』を、実感する、今日この頃でもある。
今朝、ベトナムのホーチミン 在住で、『樋野先生の「がん哲学学校」を読む会』を主催している方から「毎週月曜日、樋野先生の がん哲学学校 を拝読しています。いつも楽しく拝見しています。時には深刻な問題、感銘を受けるお話しなど、話題の幅が広いので有り難く頂いております。」と、心温まる、励ましの言葉を頂いた。また「樋野先生の軽井沢のご講演に申し込んでいます。家内と伺います。 楽しみにしています。」と、書かれていた。本当に嬉しかった。

海の日(7月17日)、軽井沢町にある「石の教会・内村鑑三記念堂」の近くで、開校記念公開シンポジウム 『21世紀の軽井沢夏季がん哲学学校 〜 内村鑑三と新渡戸稲造の楕円形の精神 〜』が企画されている。内村鑑三の{『商売成功の秘訣』10ヶ条(『われ21世紀の新渡戸とならん』26,27ページ)}が、甦る。アメリカ、ドイツへ留学した新渡戸稲造は、1891年
米国女性メリー・エルキントンと結婚し帰国した。
軽井沢へは、1905年からメリー夫人と訪れ、別荘を設けて避暑生活を楽しんだと言われている。新渡戸稲造は、1918年に開講した「軽井沢通俗夏季大学」の初代学長を務めた。当時、人口500人だった信州の寒村が
日本でも有数な避暑地リゾートになった理由が、ここにあるとも言われている。 
筆者は、新渡戸稲造の教え子:河井道が創立した恵泉女学園に続いて、今年度から、1918年に、新渡戸稲造が、初代学長として開学した東京女子大学の理事とのことである。15年前に執筆した『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年発行)が、「静かなるブーム」のようである。これこそ予想外であり、驚きである。

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